Raining
前からずっと思っていたんだけど、自分のテキストって、実に“本当に”やら“本当の”やら、“本当”の使用率が高い。アホほど多い。
文章下手だ。
まあ、それは置いといて(置いとかせて下さい/笑)、自分どれだけ“本当”が好きなんだって話なんだが、きっと本当に好きなんだと思う。(笑)
どんな表現にも、その表現者の“本当”が感じられるか否か、にわたしはきっと大きく反応するんだろう。
そしてそのことにどこまでも敏感でありたいと、願ってやまない自分がいる。
それは単純に、“本当”が感じられないものから心を揺さぶる感動を結局得られたことがない、ということなのかもしれない。(わたしが勝手に感じているだけの“本当”ではあるけれども。)
わたしは感動して、世界が輝く瞬間を見たいのだ。多分それだけ。
Coccoの10年前のシングル。
これは聴くたびにわたしを心から幸せな気持ちにさせてくれる。毎回ちょっと突き抜けたレベルの感動を感じさせてくれる。いつかはKWにしたくて、今日がそのタイミングでした。
わたしはリストカットをしたこともなければ、教室でいきなり席を立って髪の毛を切ったりするセンシティブな人ではなかったし、そういう人を特別に肯定も否定もする人間ではなかった。というか、身近にはそういうことがなかった。
ただ、そういったことに後付けされる周囲のヒステリックな受け止め方や解釈や(それはもはや“消費”と言っていい。)ともすればその当人さえがはらんでしまう嘘くささには、圧倒的に違和感を感じていた。
この曲は、そういった情景を歌いながら、本当に穏やかだ。
そういう嘘くささとは無縁だ。
雨上がりのような暖かさに満ちていて、涙がでる。
きっと“教室で誰かが笑ってた”のも単に事実で、
きっと“未来なんていらないと思ってた”のも本当で、
“帰り道のにおいだけやさしかった”から“生きていける気がしていた”のも本当なのだろう。
そう思わせる優しさと説得力がこの曲にはあって。
静かに幸せな気持ちになって、
涙がでるのです。
本当にいい曲。
これからも近くにいてほしい1曲です。