for the rest of my life

ex.ニジの空間(関心空間)

11:49 pm

・今日はたまに買い物に出掛けるショッピングモールにダンディ坂野が営業に来るということで、妻がもの凄く行きたがってたので行きました。

スベリ芸を超えた安定のつまらなさが逆に安心と微笑みを生むというある種の境地に至っており、意外と楽しかったです。

あのつまらなさでここまで消えずに生き延びているのだから、やはりある種の芸を確立してるということなのだろう。イイネ。

最後にサイン色紙争奪ジャンケン大会が行われ、ニジ、あろうことか勝ち残りサインをゲットいたしました。(笑)

せいあてで書いてもらったのですが、やや、なんと言うか、あんまりラッキーな感じがしないどころか、アンラッキーな風味まで感じてしまうところなんかは、やっぱり本当に素晴らしい芸の確立と言えましょう。

ゲッツ!

 

・心の中では何を思っても、考えてもいいと思います。

逆にその自由を脅かされてはいけないと思います。

せいはまだしゃべれないけども、もう意外とこちらの言ってることはちゃんと伝わってるなあ、と思う場面も多くて、これから言葉によってコミュニケーションをとるようになり、いろいろなことを教えていくことになることの難しさと責任を感じ始めています。

「そんなことを思っちゃいいけない!」

という教え方は大きく間違えていると思うのだけど、まだ何の規範も道徳も常識も入っていない脳ミソに、

「そんなことを思ってしまうのは仕方がないことだけど、それはあなたも他の誰かも全く幸せにしないし、楽しくない。ついでに言えば社会との摩擦が多くてすごく生きづらいし、得策でもないのではないだろうか。」

なんてことが生活の瞬間の中で説明できるだろうか。

最初は「それは悪い思いだからダメだ!」と強引に規範を作っていった方がいいのだろうか。

それとも人間の心根というやつを信じて、「思う通りに思うがいい。それがどんなことかは心が知っているよ。」と構えた方がいいのか。

なんか陳腐だけど、性善説性悪説か、みたいなところになってしまうのよなあ、と思ったり。

本当わからないけど。

もしかしたらその瞬間には、体が勝手に動くみたいな感じでせいにぶつかってるものなのかも、と思ったりもします。楽観的?

せいにはとにかく想像力をはたらかせてほしいと、そう思います。

 

 

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