12:03 am
子どもは3才までに一生分の親孝行をするのだという。
本当にそうなのだろうなと、思う。
実感として思う。
せいが生まれて3年が経ち、今年は幼稚園入園。
毎日毎日、彼はわたしに、わたし達夫婦に、本当に幸せを与えてくれる。
自分自身は何も成していないというのに。
幸せであれるような、何事も成してはいないのに、本当に幸せで、かわいい。
こんなのずるいだろう、とさえ思う。
きっとここから先は、そこまでの幸せ感を与えてくれるものではないのだろう、悩ましい場面も増えるだろう、経済的にも大丈夫なのか、となってくる予感もちゃんとある。
でもその全てに立ち向かえる、たとえ息子が殺人鬼になったとしても自分は味方でいるのだろうという気持ちが、理解できる。
なぜなら、もう十分なのだ。
十分、分不相応に幸せにしてもらってしまったのだ。
結婚しろ、子ども早よ、という世の親御さんのうるささ、わかっちゃうんだ。
10代の頃なんかは、子どもを育てるということの責任の重さに、なんでこんなことみんなホイホイやれちゃうんだ、と全く信じられない気持ちでいたけども、そんなことじゃないのだ。
もし子どもを授かる幸運に恵まれるのならば、全く考えなしに産めばいいのだ。(言っちゃった。)人間なぞ動物なのだ。そんなん考えるとこじゃないのだ。
そして3年育てればいいのだ。
もうそんな責任屁でもないから。
例え何か失敗したって、受け入れられるしそこから最善を尽くすのみなのだ。
少しでも子どもを幸せにしたいと、死んでいくしかないのだ。
もう十分幸せにしてもらったのだから。
そんな風に思う春一番っぽい日の夜です。
でも、人間として何事かを成したいという姿勢を持ち続けることは、そうありたいよね。
でないと子どもに寄りかかることになってしまうから。
本気で3才までの幸せの恩返しをしたいなら。
せめて姿勢だけでも。(笑)