11:54 pm
どうでもいい話ですが。
わたしは時々“完全な言葉”を夢想することがあります。
“完全な言葉”がこの世にあったれば、どうなんだろ、と。
わたしが、あなたが、彼が、彼女が、
その気持ちを、考えを、完全に再現でき、表現できる言葉。
鴻上尚史は、自分で「これは名言だ」と冗談めかしつつ、
「言葉はいつも思いに足りない」
と言ってます。
これ、本当に名言だなあ、と思います。
いつだって、天を仰ぐほどに言葉は不完全です。
少なくともわたしにはそうとしか思えない。
信じがたい悲しみも、取り返しのつかない歪みも、直視できないような憎しみも。
正しく伝わり合えば全てがうまくいく、とは思わないけれど、
伝わらないこと、そして伝えられないことが、どのくらいの影響を人と歴史に与えてきたのか、与えているのか、想像もできない。
もし人間が“完全な言葉”を持って生まれていたら。
今ある世界とはおそらく全く違う世界が、今ここにあったと思うのです。
はっきり言って、想像もできないくらい異なる世界。
想像できないから書きようもないのだけれど。
それはテレパシーとかそういうんじゃなくて、“完全な言葉”。
“完全な言葉”がもしあったら。
以上、ニジの夢想でした。
何があった訳じゃないんだけれども、今日ずっと頭から離れなかったので。
でも、ちょっと思うのは、“完全な言葉”があった世界にはきっと、文学も音楽も芸術も、無いかも、ということ。
想像できないから想像できないんだけど。(笑)
それでもあなたに伝えたいから、それでもあなたを知りたいから、表現がきっと生まれたんじゃないかなあ。
そのことは、きっと死ぬほど素晴らしい。