for the rest of my life

ex.ニジの空間(関心空間)

4:23 pm

・昼に親から電話がかかってくる。最近PCを買ったらしく、今ネット上にさらされているわたしを見つけたらしい。すごく興奮が伝わってきて、元気で生きているだけで喜ばれる存在というのは、本当にありがたいと思った。

・ついにメガネを買いに出掛ける。行ったのは目当てのフレームの取り扱い店とされている店なのに、その情報が間違いらしく、無かった。がくり。数枚CDを買って帰ってくる。タワーレコードの激プッシュに負けてRADWIMPSというバンドのメジャーデビュー盤を買う。悪くないような、どうでもいいような。まだよくわかりません。

・というわけで、近所のスーパーで安ワインを買ってきて、同じく近所のスーパーの中トロ刺身で早くも飲んでおります。楽しいな。でもね。いい加減一緒にこういう時間を楽しめるパートナーが欲しいなあ、とは思います。はあ。はああ。

・よく“根拠の無い自信”と言うけれど。本当にそんなものを持っている人がいたなら、きっとただの病気だと思います。

自信に根拠は必要だ。

人は能動的に動かなければ、きっと充実できない。徹底的に受け身に生きても、もし異常に幸運なら、望むものが全て舞い込んできて、幸福には生きられるかもしれない。けど、きっとそういう人生は充実はしていない。

そして動くためには、どうしたって自信が必要だと思う。あとは勇気と意思とのバランスであって、その自信が「自分はこういう時運がいいんだ」程度のか細いものであっても、「今動かなければ何も得られない」という意思が強ければ動くだろうし、絶対に近い自信を持っていたとしても動けない場合もあるんだろう。

そういう博打の成功や失敗が、自信を作っていく。

だから動かない人間に自信は生まれない。

自信のない人間はますます動けない。

きっと誰でも最初の自信はか細く消えそうな自信だったんだ。

だから勇気と意思が人を進めるというんだろう。

以上、今日ふと考えたことをとりとめなく。

自分は、正直、勇気も無かったし、意思を持つべき時にぼーっとしていた、と思う。それは、この年になるともはや失敗した人生と言えるのかもしれないけど、それでも人生は続く。

ただ、今が結果だ、と思わない限りは、人生は常に過程ではないだろうか。生きることに定まった正解があるなら、もう駄目だが、そんなものはきっと無いだろう?

む。酔ってるにゃあ。