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ex.ニジの空間(関心空間)

11:20 pm

まだまだ続くよリニューアル考。

なんだか日がな一日関心空間のこと考えてるみたいでどうかと思うんですが、あたらずとも遠からず。(笑)

今度のリニューアルは、自分の中で、これだけ生活の一部と化しているのに漠然としていた関心空間というものを捉え直すいい機会になったのです。

現実的に使い勝手を良くしていこう、という役に立つような内容でないので、ちょっと気が引けるんですけども。

今回のリニューアルで、多くの方が感じたと思われるある種の“違和感”は、

「人」が見えにくくなったからではないか、と感じたのですが、

今日(仕事中w)1時間くらいいろいろ巡ってみて、自分なりに現状にはかなり慣れてきたように思えました。(理解できるようにはなってきた?)

それは関心空間に持っていたイメージを新たなモデルにシフトできたからではないかと思っています。

これまでのモデルでは、単に「見えにくくて」悲しくなってしまった“あなた”が、新しいモデルで関心空間を捉えることで、「見えた」というか。

リニューアル前の関心空間は、“○○の空間”という強く「人」を意識させるスペースが中心でした。

自分の興味をカタログ的に(ある意味)発信している、開かれつつ、しかし強固にパーソナルなスペース。

おそらくは、皆さん、そこをホームに、“訪れ”“迎える”という感覚で交流を楽しんでいたのではないかなあ、と想像します。

つまり境界も強固なら、つながりも強固な関係。

それに対して、新しい関心空間は、非常に強固なパーソナル・スペースだった“○○の空間”がかなりゆるやかなスペースになった気がします。プロフィールの扱いも弱まり、カタログ的なデザインも後退しました。代わりにKWと並列なものとして日記が位置づけられ、(実際かなり気軽にいろんな方の日記に到達しますよね。)いろいろな次元のものがゆるやかにたゆたっているイメージ。

境界もゆるやかだし、その分つながりもゆるやか。

そして、“マイページ”という新しい機能によって、“誰ともつながらない浮遊する自己”が登場したように思うのです。

自分の空間すら鳥瞰している第2の自分。

みんながゆるやかなつながりを展開する丸い水槽のような空間を、上から眺めるたくさんの第2の自分、のイメージ。

このイメージにいきついて、現在の関心空間にあまり違和感は無くなりました。

“あなた”とわたしを包む構造がわかった気になれたからです。つまり“あなた”が見えた(!)

でも、なんか、結局距離としては遠くなった感がぬぐえないですね。人と人。

こうなるとはっきり言って、どっちのモデルが好きなのか、の問題なのかなあ、と思いました。

これはちょっとしばらくやってみないとわかんないですよね。

うーん。このイメージに共感して下さる方はいるのかなあ…。

てんで見当違いだったらごめんなさい。

でも、“カタログ”があったからKWもあったわけで、それが希薄になっていったら、KWってあんまり意味が無くなってしまうんじゃないだろうか。

そしたら、関心空間アイデンティティってなんだろう、ということになりはしないだろうか。

そこも不安です。

ここがどういうモデルを目指しているのかが、まだわたしにはよくわかっていない、ということですよね。きっと。