ソラニン
作者の「浅野いにお」は別にKWをたてていますが(ニジの初KW)、非常に良かったので作品単体で。
わたしは基本、単行本で読む派なのですが、1巻と2巻で驚く程印象が変わった作品でした。
1巻の最後に物語上、非常に大きな事件がおきるのですが、それを境に、お話自体のスケールもぐっと大きくなった印象。
人によっては、甘っちょろいモラトリアムで、読むに耐えない、と思うかもしれません。
(浅野いにおについても、甘っちょろいモラトリアムばかり描きやがって、と思うかもしれません。)
わたしも、そう思うところは、あります。
しかし、こういうモラトリアム的心情は、今の日本に住む圧倒的多数の誰も彼もが、心に持っている、と思います。20代だろうが、30代だろうが、40代だろうが…。乱暴な断定ですが、そう思います。
誰も彼もが、どうにかこうにか、折り合い付けてやっている。
そしてそれが、死ぬまでおそらくそのままだろうことも、わかってる。
こういう「変えたい」「変わらない」「本当の自分」「嘘まみれの日常」みたいなことを描くマンガは、それはもう腐るほどあるけども、そんなもの読んだって、あなたの日常も人生も変わらない。
わかってるって。
だから普通はそういうマンガは“共感”に訴える描き方になるように思います。
「ああ。わかるよ。」「ああ。そうだよね。」「みんなそうだよ。」
みんなそうだから、なんだってんだ!
でもこの作品はちょっとその先を見ている感じ。
もちろん共感は大切にしてると思うんですが、
「そして、やはり変わらない」こと。
「そして、やはり何者でもない」こと。
そこに、かなり自覚的にスポットを当てているように思うのです。
それでも生きていくことは、少なくともゴミでも、オマケの人生でもない。
それはましてや、みんなそうだからなんて、クソみたいな理由だからじゃなくて。
作中の喪失や、挑戦は、それこそみんな多かれ少なかれ経験してる。その意味で、言ってしまえばゴミみたいなもの。
そんなゴミみたいな日常をたんたんと描いて、それでもそれはあなたの人生であることを、それでしかないことを、そしてその一点で、それがゴミなんかじゃないことを、鮮やかに浮かび上がらせている作品のように思います。
やはり絵がうまいことは、マンガの場合、それだけでパワーだ、と思いました。
ギャグも面白いし、上手にマンガを描かれるなあ、と思います。
ライヴシーンは鮮烈。
平熱は、熱なんだ。